木材と地歌舞伎の伝統が地域の魅力

全国山村振興連盟事務局長 實重重実

10月29・30日の両日、山村振興全国連絡協議会東海・北陸ブロック会議で岐阜県中津川市の加子母(かしも)地区を訪問しました。加子母地区は檜(ひのき)の美林に囲まれた奥深い山村で、古い時代から東濃檜の産地として、伊勢神宮の式年遷宮の際の御用材をはじめ、姫路城の本柱、法隆寺金堂、銀閣寺の修復など、全国各地の重要な建築物の用材を産出してきた地域です。このため江戸時代には、尾張藩が飛び地として所管していたのだそうです。

地区には、村民の心の拠り所である「かしも明治座」という芝居小屋があります。これは、明治27年に村民が老若男女・子供まで含めて総出で建設した木造建築で、我が国で唯一瓦屋根でなく、板屋根の芝居小屋です。建設当時、檜は貴重な木材という意識が強かったので、柱は欅、板は杉、梁は樅と、檜以外の木材を用いたのだそうです。ここで、年に1度、村民が出演する地歌舞伎が公演されます。また、村民によるクラシック・コンサートも開かれます。それ以外のときは貸し出しを行い、歌舞伎役者・十八代目中村勘三郎の襲名披露公演なども行われたそうです。

木材と歌舞伎には、実はつながりがあります。江戸時代、農民が集まって芝居を行うことは、徒党を組むことになるので禁止されていました。しかし東濃地域では、檜を産出するので特別に許されていたのだそうです。それもあって、現存する全国22の芝居小屋の中で、東濃地域に10もの芝居小屋があるとのことでした。

さて、こうした木材を産出する歴史は、現在の地域の活動へとつながっていきます。加子母地区には、神社仏閣の木造建築を造る技術があり、現在も中島工務店が中心となって全国の神社仏閣の修理・建築・宮大工の派遣などを行っています。

そして和風建築を学びたいという建築家などの大学生たちが、加子母に実地体験をしにやって来るのだそうです。京都大学、立命館大学など8つの大学が中心となって協議し、年間300人もの学生が順番にやってきて、2週間ずつ工務店や大工さんの指導を受けながら、和風建築に実際に挑戦します。

村の住民から要望のあった公園の東屋、バス停の屋根など、地域として必要としているものが、学生たちの手によって造られて、住民に提供されているとのことでした。

優良な木材を産出する伝統が今日でも地歌舞伎や和風建築といった形で残り、それが地区外の人々も引き付けて、その中から移住者も出てきています。山村ならではの歴史と伝統を誇りにし、それを守っているからこそ、地域の魅力を発信できるのだと思いました。