スポンジのような山が日本を発展させた 實重重実

常務理事兼事務局長 實重重実

本年8月に全国山村振興連盟の常務理事兼事務局長に就任させていただいたとき、親しい知合いの方から、「これを聴いてみてください」と言って、司馬遼太郎の講演を収録したCDをいただきました。
「私ども人類」という演題で、1991年に亜細亜大学で講演されたときの話を録音したものです。(新潮社2005年)
繰り返し聞かせていただいたので、要点をまとめてみます。

まず第1に、中国・韓国では紀元前から製鉄が行われていたが、高熱を得るため森林を伐採し、両国とも禿げ山になってしまった。禿げ山が再生できる土壌ではなかった。華北では黄土で野菜を作ることができるものの、緑に乏しくなった。砂鉄業者集団は失業して、船で日本にやって来ざるを得なかった。移住してきた日本では、森林が30年で再生した。これは、山の土壌がスポンジのように水を含むようになっているためだ。このため日本では製鉄が定着し、発展した。

第2に、こうして日本では鉄が普及し、農業生産が飛躍的に増大した。鎌倉時代には鉄の農具が一般化し、室町時代には1人の農業者が10人の人間を養えるようになった。これは、稲作のおかげと言われるが、同時に農具や土地改良の効率を上げた鉄のおかげでもある。

第3に、鉄を使って大工道具も多彩になったため、好奇心が増して様々なものを作るようになった。農業生産力が上がると、様々な職業が現われ、能や連歌のような芸術の担い手も登場する。こうして日本文化が生まれた。現代の文化の源流は、室町時代にある。

以上の講演内容を更に一言でいえば、日本には森林を再生することのできる土壌があったので、製鉄が盛んになり、それが農業生産力の向上をもたらして、ひいては日本文化が醸成されたということになるでしょう。

今、成熟して伐期を迎えた日本の森林は、温室効果ガスの吸収源として、地球規模での貢献が期待されています。そうした未来への視点と同時に、司馬氏のような長期的な過去の歴史という視点から森林を眺めてみると、別の感慨深さがあるのではないでしょうか。