特定非営利活動法人 地球緑化センター主催の「エキサイト☆ふるさと2009」が第15期緑のふるさと協力隊公開報告会及び自耕実践「田舎で働き隊!」中央研修として3月14日(土)午前9時30分から東京都港区のニューピアホールにおいて開催された。
 地球緑化センターは、 平成21年度の第2次補正予算に計上された農林水産省の農村活性化人材育成派遣支援モデル事業を活用して、農山村や農林業と関わるきっかけを求める人や『緑のふるさと協力隊』に興味を持っている人に、農山村の営みを感じてもらう機会として、また新たな自分と農山村との出会いにつながる場として、短期農山村体験活動〈自耕実践・田舎で働き隊!体験プログラム〉を実施し、公募した約200名の若者を群馬県神流町、群馬県南牧村、長野県泰阜村、愛知県豊根村、滋賀県高島市、京都府綾部市、高知県佐川町及び大分県豊後大野市の8市町村に3月10日(火)から13日(金)までの間派遣した。それぞれの地域においては、農作業、森林・里山整備、遊歩道整備、郷土料理作り、住民との交流等が行われた。
 その中央研修が「エキサイト☆ふるさと2009」において、第15期緑のふるさと協力隊(30市町村に36名(男19名、女17名)が派遣された)の公開報告会と合同で行われることとなった。
 午前中は、田舎で働き隊!参加者の千葉裕美氏(群馬県神流町に参加)、緑のふるさと協力隊隊員の栗原美幸氏(徳島県佐那河内村に派遣)の荻田英爾(宮崎県日之影町に派遣)、緑のふるさと協力隊受入担当者の藤原美佐子氏(岩手県遠野市役所宮守総合支所)から活動報告が行われた。
 続いて、「協力隊の1年間でやってきたこと・考えたこと」をテーマにパネルディスカッションが行われ、パネラーとして、緑のふるさと協力隊員の松浦伸也氏(福井県池田町に派遣)及び中野千江氏(静岡県川根本町に派遣)、田舎で働き隊!参加者の遠藤恭平氏(京都府綾部市に参加)、Yae氏(シンガーソングライター)、コーディネーターとしては甲斐良治氏(社団法人 農山漁村文化協会)が参加した。
 午後からは、緑のふるさと協力隊紹介VTRが上映され、朽木太鼓(滋賀県高島市)、五木の子守唄(熊本県五木村)、日之影神楽(宮崎県日之影町)、築上神楽(福岡県築上町)が地元の人及び派遣隊員により披露されるとともに、Yaeさん(半農半歌手。[土に生きることの幸せ」を伝えるため「種まきライブーツアー」を全国で展開中)のライブが行われた。
 会場には、平成20年度に派遣された30市町村のブースが設けられ、36名の隊員から活動の成果、地域の特産品等の紹介が行われた。
 最後に第15期緑のふるさと協力隊員全員が舞台に勢ぞろいしてのパーフォーマンスがあった。
 この会合には、自耕実践『田舎で働き隊!』体験プログラムの「活動報告速報」が配布された。短期間ではあるが、若者達が農村でくらした体験で感じたことが報告されている。その内容は次のとおり。

○ 群馬県神流町(参加者19名)
 私たちは今回、群馬県の神流町を訪れました。19名の働き隊は、西は博多から北は新潟県まで全国各地からこの町にやってきました。はじめは、どんな人が参加するのか不安と好奇心を抱いていましたが、最寄り駅から宿泊施設へ向かうまでの間に早速バスの中は和やかな雰囲気になっていました。神流町へ近づくにつれ、段々と景色が変化していきました。家屋が減り、山と畑が広がり、バスが1台しか通れないような細いうねうね道の先で3泊4日の生活が始まりました。私たちのこの町に対する第一印象は、思っていた以上に田舎であり、時間の流れを忘れてしまうほどの静けさを感じました。それと同時にこの町を好きになれそうな予感がしました。
 赤じゃが農家での体験は、重労働を覚悟して行きましたが、農家の方々の温かいもてなしと優しい気遣いで、食べきれないほどのご馳走を頂き、お茶のみがメインになってしまいました。何だか申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで、心もお腹もいっぱいになりました。作業では、赤じゃがの開墾を手伝わせていただきましたが、こんなに地道な作業なのだということを実感しました。農家の方は、80歳を過ぎているにもかかわらず、重い鍬を体の一部のように扱っていました。傾斜のきつい場所での畑作業を難なくこなす姿を見て、パワーをもらいました。
 そもそも私たちは農業体験だと思って参加しましたが、実は単に畑作業の手伝いだけではなくて、人と人との繋がりを学び、食べ物への感謝の気持ちを、改めて強く肌で感じました。
 最初に私たちが参加したきっかけは様々でしたが、同じ体験を終えた後には、19人の思いは重なり合い、それぞれの人生の転機になりました。この先、それぞれの道の途中で辛いことや苦しいことがあったときは、この経験を思い出して、成長の糧にしたいと思います。大好きな神流町、本当にありがとう!!

○ 群馬県南牧村(参加者35名)
 私たちは群馬県南牧村でブルーベリー農園を訪れたり、遊歩道の整備や、農地耕作に取り組みました。活動の中でたくさんの方々と交流し、実感したことはそれぞれが村を愛していること、自分の仕事に誇りを持っていることです。そして何より、初めて南牧村を訪れた私達を拒絶せず、あたたかく歓迎してくださったことがうれしかったです。
 南牧村は少子・高齢化率共に全国1位の村であり、空き家も多く、過疎が進んでいるというのが現状です。この村では70代のかたでも「若僧」とよばれ、子どもたちを見かけることも殆どありませんでした。しかしその中で、南牧村で新しい生活を始めるIターン者が少しずつふえています。今まで農業の知識がなかった人が南牧に来て、試行錯誤を重ねている姿が、非常に印象的でした。その中でも特に問題視されているのが「形が不揃いな作物は買い取ってもらえない」「虫食いの作物がいやがられる」といった意見でした。私たち消費者としては、安いものや形の良い物を無意識に選んでいるというのが現状でした。しかし今回の意見を聞いていると、「形が悪いからといって味が悪いわけではない」「虫が食べているからこそ本当においしいものである」ということを実感しました。これからは見た目や価格ではなく生産者の置かれている状況や土地のことを視野に入れながら生活していきたいと思いました。
 三日間を通して感じた事は、南牧村の人々が自分たちの町を守ろうとする姿勢に心をうたれたということです。ふと我に返ったときに「私は自分の町にどれだけ愛着を持っているのだろうか」という疑問が浮かんできました。遠いところまで足を運んで今回の様な活動をするのも大切な事ですが、まずは自分の生活の基点となる地域を愛するという事が大事なのではないかと思いました。地域との関わりは人それぞれですが、今目の前にある課題を着実に、少しずつクリアしていきたいです。

○ 長野県泰阜村(参加者19名)
 泰阜村には何もありません。コンビニやパチンコなど、普段私たちが何気なく使っているものが、こんなにもないなんて、思いもしていませんでした。
 しかし、私たちが泰阜村で過ごした4日間の中で、この村には人の素となるものがあることが分かりました。道で出会った人に必ず挨拶をすることで、心の豊かさを知りました。ナメコの駒打ちをした際に、ナメコは育つのに1年半もかかることを知り、自然の命を頂いていることを知りました。
 また、鹿をさばいた後、その皮が干してあるのを見て、命の恵みをとても近くに感じました。これらのことは、都市ではまず体験しないことです。
 しかし、今それは都市ではあっても、昔はみな自然と共生してきました。また、村の人と助け合うことで本当の共生があったように思います。そんな人間の素となるものが泰阜にはありました。
 確かに、コンビニもスーパーもない泰阜です。病院がないのは、少し厳しい部分もあるとは思います。しかし、村の方々は、山菜をとって食べ、体の毒を出すとおっしゃいます。遊園地がなくとも、川釣りやキノコ狩りなど、探せば遊びは沢山あります。様々な工夫を凝らして泰阜村で暮らしていらっしゃる村の人の姿を見て、本当に自分が大切にしていきたいもの、人を作っていく素となるものが見えた気がします。

○ 愛知県豊根村(参加者15名)
 私たちの活動場所は愛知県豊根村です。その中でもかつて日本一人口の少ない村であった、旧富山村、現在富山地区を中心に活動しました。そこは、地形の傾斜がきつく、水田を作ることが出来ないため、農業を主力産業にすることが困難です。私たちは、傾斜のある土地の開墾や、段々になっている茶畑の整備を行い、そのような地形の中での農業の大変さを身にしみて感じました。
 そんな自然環境の厳しい富山地区で、私たちが感動したのは、ミニ村ならではの人同士の信頼関係、助け合い、支え合いの精神です。その密な人付き合いこそが、これといった強みのない富山地区にとって一番のセールスポイントになるのではないかと考えました。
 そして、それらを発揮するためには、村外の人々に一度訪れてもらうことが必要です。そこで私たちは、ミーティングや交流会などを通して、情報発信の手段としてホームページの充実が重要の課題であると感じました。なかでも、特に生きた情報をタイムリーに伝えることの出来るブログを制作し、頻繁に更新するというような努力をしていけば、富山村の魅力である「人」が伝わるのではないでしょうか。

○ 滋賀県高島市(参加者35名)
 私たちは、自然と触れ合うために滋賀県高島市に行ってきました。高島市は、琵琶湖の西側に位置し、自然あふれる緑豊かなところでした。活動は主に、里山整備、竹林整備、農家手伝いなど自然の中で生活している山村ならではのものでした。初日は、高島市の歴史や文化を地域の方々に教えて頂きました。唯一の筏作りを知る方や名物トチ餅についてなどをグループ毎に発表しました。このままでは地域に伝わる伝統文化が途絶えるのではないかと考えさせられました。二日目は、5ヶ所に分かれて地域で指導されている方のもとでお手伝いをさせて頂きました。古代米農家の方からは、日本人の米離れの不安や、お米に対する熱い思いがひしひしと伝わってきました。昼食は各活動先で打ち立てのそばや、鴨鍋、鹿肉料理、竹で炊いた古代米などをご馳走になりました。その土地の食文化に触れることにより、本当の意味でのスローフードを知ることが出来ました。また、各グループ独自の素材で餅つきをしました。昔ながらの杵と臼を用いた餅つきは貴重な体験でした。三日目は林道整備や獣害対策ネット張り、杉の枝打ちに取り組みました。枝打ちは、人力でないと出来ない作業と聞き、林業の大変さを知り、鹿の食害を防ぐため、ネットの必要性を実感しました。地元の婦人会の方々には、特産物を使った美味しい手料理をご馳走になりました。鯖街道として有名な高島の、鯖は勿論、郷土料理はどれも絶品でした。
 この活動を通して、農山村で暮らす方々の熱い思いや、いきいきとした笑顔は私たちの心を動かすエネルギーとなりました。ものがある便利さだけが幸せではないことを知り、人との繋がりで感じる幸せもあることを学びました。この経験で学んだ多くのことを糧として、これからの人生に活かしていきたいと思います。お世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

○ 京都府綾部市(参加者32名)
 今回、京都府の綾部市で農業体験をさせてもらいました。参加者には、実際に将来的に農業を志す者や、田舎暮らしに興味を持つ者など、様々な理由を持つ人々がいました。農業体験の内容として、酪農、山の斜面の草刈り、里山整備、竹細工、パン作り、そば打ち体験などを地元の方の指導を直接受けながら経験させていただきました。それらの体験は想像以上にきつく、数時間以上続く草刈りや力のいる仕事に驚き、またその辛さや大変さを身にしみて感じることができました。午後には市長や農家の方々の講義を拝聴でき、客観的に綾部市の現在の状況を知ることができました。
 そのなかでも印象深かったのは、50年以上酪農を続けている方のお話で、消費者のニーズに応えるには労力とお金と時間がかかるにもかかわらず、なかなかそれに見合う対価が得られない厳しい現状があるということでした。その後の質疑応答では、私たち消費者の選択の責任や、組織的に変わらなければならないという問題点が浮かび上がり、一人一人の意識の改善を突きつけられる結果となりました。
 しかし、このような問題を抱えながらも、様々なバックグラウンドをもつ参加者と共に泥まみれになりながら農業体験を行うことができたのは、忘れられない経験となりました。
 この研修を通して、憧れによって美化された農業というものの現実を知りました。短い期間で、手伝いとよぶほどのことはできませんでしたが、このようなプログラムが私たち若者にとって農業に興味を持ち、触れられる良いきっかけとなりました。これからもこのようなプログラムが増え、より多くの若者が農業に興味を持ち一歩を踏み出せればいいなと思います。

○ 高知県佐川町(参加者9名)
 私達はこのプログラム最少人数9名で佐川町に行ってきました。つい「サガワ」と呼んでしまいそうになりますが、ここの町の特色の一つとして、濁点をつけないということがあります。私達がつい濁点をつけて読んでしまいそうな苗字も佐川では濁って発しません。これも口承文化の一つと言えます。昔からの伝統を大切にするこの町には400年前から受け継がれるお酒「司牡丹(つかさぼたん)」があり町の人もお酒が大好きな方が多いです。
 そんな佐川に来て農家の方達と共に働き、たくさんの新しいことを知りました。天候によって左右される作物は毎日変化があります。その変化に対してどうすればいいかを分析し対応していきます。また作ったものをどうやって売るかも百姓は考えなければならないのです。体力だけではなく、頭も使うことを初めて知りました。「農業はただ“作物”を作るだけでなく、どの様に実るかを想定して育てていく」という言葉を聞き、経験と勘、また頭をすごく使う、とてもプロフェッショナルな職業だと感じました。また作物を育て、出荷し会計をも担う農家の存在も知り、作って出荷した後の過程を大体の農業が把握してなかった情勢から、少しずつ変わっていることを感じました。作業の一貫を把握することにより、消費者と生産者との距離的ギャップが縮まる方向に向かっていくのではないでしょうか。
 現在、農業の後継者不足と言われている中、このプログラムの様に県外から農業に興味がある人々が田舎・農業を通じ、今の農業問題、過疎化問題について考え、一緒に解決に向かっていくアプローチも重要ですが、もうすでに農業に従事している、又は後継者となりうる若い人々に「農業を誇れる職業」と思ってくれる社会の雰囲気、人々の意識を変えていくという2つのアプローチの必要があると思いました。その一つに、命の大切さについて小さな時から触れられる、農村自身にパワーを持たせ、私達のような周りの人々を巻き込む、そんな考えもあると思いました。食のありがたさが薄れている今、もう一度、農業+食について社会全体で見直す機会がきているのではないでしょうか。

○ 大分県豊後大野市(参加者20名)
 私たちは豊後大野市に来て、まず「何もない」ことを実感しました。しかし、ここが持つ本来の素晴らしさを最大限に活かしています。それは自然、歴史、市民そして地元を誇らしく大切に思う気持ちです。ここも町の活性化に取り組み、活動に華やかさはなくとも、住民と観光客の両方にとって過ごしやすい町作りに力を入れています。例えば、道の駅では、この市で生産された商品のみを扱っています。それが生産者の収入源となり、訪れる人とのコミュニケーションを構築し、情報発信の場ともなっているのです。必要最小限の交通や建物が整備されることで、住みやすさと、この市を訪れる人の増加にもつながっています。
 作業の中で、実際の植樹体験はとても印象的なものとなりました。「木を植えることは、明日を信じること」。指導の方からその言葉を頂き、「植樹」は未来のことを考えた活動であり、サポート的役割で人の手を加えることで自然本来の力を引き出すと言う森林再生のシステムがうまく活かされていると思いました。また、一般人に植樹を体験してもらうことによって、森林、自然に関する正しい知識はもちろんのこと、豊後大野の人々とのコミュニケーションや愛着が生まれます。そして、参加者によってそこでの体験が語り継がれます。
 今回の活動を通し、働き隊に対し過度の期待や要求をするのではなく、町の良さを味わい、ただ楽しんで欲しいという温かい気持ちを強く感じました。そして私たちが今後もその体験を活かし、豊後大野のために役立ちたいと思います。この活動により、受入側、参加側両方にとって良い刺激となり、またまちづくりとしても一人よがりや内向的な活動ではなく、その度ふさわしい活動が行われているかの確認、そして改善を同時に行うことが出来ると思います。このまま豊後大野や自然本来の良さを活かし、後世にもつながるこの活動を続けていって欲しいし、私たちも伝えていきたいです。

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