特別講演
     がんばれ、いなか
        東京大学法学部教授  佐々木 毅


 第24回全国山村振興シンポジウムと伺って、これは大変大事な節目にあたる回のシンポジウムと思った。
戦中、戦後にかけて都会から農村に人口が流れ、田舎は、人口超密の状態となった。私の、戦後の日本の認識からすれば、集団就職とか言っていた頃は、いわゆる高度経済成長期であって、それが最初の大きな壁にぶつかったのが石油危機だったと思う。
 個人的な認識だが、戦後、都市と農村とのバランスの良い国土の繁栄は、あの頃で一度終止符が打たれたのではないか。そして地域格差の問題がクローズアップされ、国民生活の均衡ある発展のために役所なり、政治家が大変努力しなければならない時代に入った。
 そして、次の波が、まさに今うち寄せているのではないだろうか、実はここに来て、日本経済自体が大変難しい状況に直面しているが、これは田舎の問題ではなく都市の問題である。露骨な表現を使えば都市が結果として自爆したのである。都市部に膨大な問題を抱えているというのが現在の危機であり、したがって都市部に近い金融機関を初めいろいろな意味で多くの問題を抱え、それが地方へ波及しているのである。

 △高齢化社会・ライフスタイルのデザインを描くとき

 今後どのような流れが出てくるか政策問題を考える上で重要であり、大きなうねりが起る可能性があると思う。私は、都市部で起こっているこれらの問題のひとつは、中産階級の解体のプロセスだというふうに認識している。そして都市部、農村部、山村部の間の関係は、複雑で非常にやっかいな状況を生み出してくるだろうと考えている。
 今後の日本の社会は、高度成長期のような巨大な建物や施設をどんどんつくっていくといったタイプの発展は、一段落すると思う。これは、ひとつに我々の人口が非常に老齢化し始めるということである。  今後は、高齢者の対応とか環境問題など多くの問題にエネルギーを費やし、いわゆる低成長の中でいろいろなものと調和しながらしのいでいくという時代に入っていくのではないかと思っている。
 その意味では、山村あるいは農村もそういう大きな流れの中でこれからの政策を考えていかなければならない。これまでの力まかせにどんどん成長していく、日本を引っ張ってくれるところはなくなりライフスタイルを含めて我々は日本国民の生活のあり方が、この不景気の中を通して少しずつ変わり始めているのである。
 そして新しいスタイルの生活様式を国民が共有するようになっていくのではないだろうか。私は、高齢化社会のデザインが描けないかぎり消費は伸びないと感じている。そして高齢者の人達をどう社会として処遇していくかということがナショナルポリシーの基本であり、その中で都市と農村はどんな役割があるのか、また、どんな役割が果たせるかという綱引きでない議論の立て方が求められているのではないか。
 その意味では、政策のコンセプトのねり直しも是非必要であるし、また、この不況は、単なる不況ではなく、それを通して日本社会のあり方、国民のライフスタイル、政策のオリエンテーションを考え直すべき時代であると思っている。
 今、日本の中で、公の部分も含めて先行きに対する不透明感に苦しんでいる。この過渡期は、いろいろなことをやりながら乗り切るとしてもその後のビジョンをどう描くかが問題で皆様に是非絵を描いてもらいたい。
 国家が猛烈な赤字を抱える、地方もなかなか大変である.政府や行政がそういう状態におかれている時にどういうふうに都市部の人たちと一緒にやっていったらいいのか、そのデザインを描くことである。
 役所は役所なりに、山村は山村なりにがんばることである。そして生活に自信を持って積極的にメッセージを発していくことである。

 △ 経済危機から学ぶこと

 以前、「戦後政治の総決算」と言われたが、生活の方もものの考え方や人生観も含め総決算の時に来ているのではないか。あるいは、そういうふうに感じている人が非常に増えてきていることも事実である。ですから、おそらくこれから数年間いろいろなアイデアが日本国内を飛び交うことと思う。
 今、アメリカやヨーロッパの国によっては大変高い失業率で、ドイツとかフランスでは、まだまだ失業者が沢山いる。このような国では、経済が成長しなくても生きていけるような社会の仕組みができているのではないかと思う。
 ところが、日本では、経済成長がないと生きていけないように仕組みができているのか、また、我々がそう思っているのかも知れない。
 今世紀半ばの1950年代、60年代は、人類史の中でも異常に経済が成長した時代である。その異常に成長した中でも、日本は奇跡的に成長した。
そういう記憶があるから我々はどうしてもものを見る目、あるいは、流れを見る目線をどこにおいたらいいのかという問題がある。
 ただ、これは大変難しいことで、そうはいっても国民は期待感が高いから成長を引き下げよと言われてもこれでは選挙には勝てない。しかし、気持ちの上では、経済成長が殆どゼロ成長でも我々は生きていけるような仕組みに少しずつ変えていくことだと思う。
 政策的に言うとそのためにはどう生きるか、どういう政策を考えるか、また、どういう仕組みをつくるかということだと思う。その意味で、今の経済危機は、おそらく日本を人並みの国にするだろうと思っている。

 △低成長の中で座標軸の修正を

 戦後日本は、ほかの国と違うという点で憲法9条をが挙げる人もいる。
しかし、もうひとつは、やはり経済的な意味での奇跡的に長期にわたる上向きトレンドというものがあった。
 ヨーロッパを初め多くの国々は、民主制を維持しながら選挙で代表者を選ぶ仕組みをとりながら、なおかつ、例えばドイツにしろフランスにしろ失業者10%を抱えてやっていくということはどういうことか、その秘密というものに興味を持たざるを得ない。そうあってほしいとは思わないが、その辺まで考える感覚があってよいと思う。
 そういう意味で、我々は今、少しずつ経済的困難の中で我々の座標軸の修正をするとか、アジャストメント、適応という問題を考えていくということが必要ではないか。
 確かに石油危機のときも低成長になれるといったし、円高不況のときにも低成長といった。とはいいながら、ついついバブルにものめり込んでしまったというのが我々この数十年の歴史である。

 △ 山村から活発なメッセージを

 戦後の日本の都市というのは、やはり高度成長と分かち難く結び付いた都市の生活であり、都市住民である。しかし、今は、都市部も猛烈な調整を迫られているのではないだろうか、私は、失業率は高いことが望ましいとか、経済成長しないのが望ましいとかいうつもりはないが、常にある可能性として、頭の中では少し押さえて考えていくことだと思っている。
 私は、そういう感じで、これからの日本のテーマを考えている。
 そういう観点から言えば、農村や山村で持つエネルギー、いろいろなリソースを出してもらい、そして、日本国中が戸惑っているときに、日本国再生のためにも農村、山村からこれだという活発なメッセージを早く出してもらいたいと切望している。
 そして、私は、日本における都市と農村部、山村部の新しいもうひとつのダイアローグというか対話の段階というものを活用することによって21世紀の新しい都市と農山村の関係を是非つくっていただきたい。


 約1時間あまりにわたる「がんばれ・いなか」と題する講演は、山村地域に熱いエールを送って幕を閉じた。




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