《連載》 榛村掛川市長の講演

[夢と魅力そして活性化戦略とは]第2回(完)

〈最初の天守閣の本格木造復元〉
 例えば本物志向の時代で天守閣を作る場合、戦後天守閣が日本に60出来た。広島も原爆でやられ、名古屋も空襲で焼かれ、それを復興したが、みんな鉄筋コンクリートで造っちゃった。鉄筋で造るだけだったら珍しいと言うだけで、それを掛川城は54番目で木造で本格的に造ったのが最初なんです。なぜ木造が出来なかったかと言うと、その設計研究などやっていたのでは飯を食えないんですよ。そんな研究者は、たった一人宮上茂隆さんという人がいたんです。本当に貧乏に暮らしている、女房ももらわないでやっていた。掛川がその人の最初のスポンサーになって6千万円で設計を頼んでやってもらったのです。
 宮上博士が本当に在来大経木建築を愛し、信念を通して日本の天守閣の勉強をした。
 こういう市場経済外の学者がいなかったということが一つ、もう一つは建築基準法、この法律は私に言わせると木材駆逐法なんです。木材を使わせないように、鉄、コンクリートを増やすようにしたのが建築基準法なんです。
 それがやっとアメリカの圧力で3階建てまで木材を使っても良いと建設省も重い腰を上げたんです。ところが、15mと言う高さ制限がある。天守閣は15m以上ありますから3層は良くなったが出来ない。私は、出来ないと言うんで、今日本で本物天守閣が残っている姫路城、松本城、彦根城とか犬山城など戦国時代の天守閣、あるいは江戸時代に出来た天守閣と言うのは全国に12有るんです。それらの天守閣は、400年とか300年の問に大地震に2回ぐらいあっている。それでもつぶれていない、だからこの400年保っている同じ建て方でやるのに、何で建築基準法でいけないんだ、これは戦後の木造の安普請の建築基準法だ。江戸時代の本格軸組工法建築は、違う。実績のあるものをその通りやるのは何が悪いと言って、訴えるなら訴えてくれと言うことで建てることにしました。
 そしたら政府は困る、分はこちらにあるので違反だからと言って政府のほうで、伝統的建造物についてはその義にあらずと言う例外規定を作ってくれた。それで天守閣が出来るようになったんです。それがある意味では、地方分権と言う訳で、建築基準法と言うのは中央集権の流れの産物というわけです。

〈建築基準法は木材駆逐法〉
 林業が成り立たなくなったのは除・間伐材が売れなくなったからです。それに今は、柱材も駄目だから最低ですが。林業と言うのは先ほど申しましたように、47年生を持っておっても切れないでしょう。あまりにも時間が長いです。それが成り立つ様な錯覚を抱いていたのは、除・間伐材が売れたからです。除・間伐材収入で長期間の林業家の生活を補っていたんです。それが売れなくなって、中丸太も売れなくなって、建築基準法その他でもって鋼管材による足場から足場板まで全部駄目になってしまった。鉄とコンクリートとアルミの3大建築資材に木材はみんなやられたんです。
 山村に有るのは木材ですから、これでは立ち行きません。
 あとは良い水と良い空気だ、いうことになっちゃってる訳ですからね。私は、文化庁と建設省の建築指導課に行ってがんがんやったときに、いままで木造建築で15m以上の復元を認めたのは、金閣寺だけですと、金閣寺は設計図もちゃんと有ったし、写真もちゃんと有った、燃えちゃったからあれは復元を認める、その他の15m以上の木造建築の復元は一切認めていません。これがお役所の言い分でした。
 これから市町村長はいろいろな面で本物志向の場合は、がんがん言って、中央集権をやめて、我が地域の唯我独尊ということを、それががりがり亡者ととられるか、夢、魅力ととられるか、これがこれからの市町村の勝負です。
〈まずレジメで書いて示すこと〉
 そんなことを申し上げて全国行脚をしているんですが、そこで今日お話しようと思っていることをレジメとして書いてきました。私は、掛川市長を6期22年やっているところですが、私が何故、かなり思い切ったことを言っても、結構、選挙にも強かったのか、と聞かれることがあります。その一つは、地域のご婦人の集まりや、区長さんの集まり、青年の集まり、消防団の集まり、区画整理を立ち上げるときその他いろいろ市長が話しに行くとき15分以上話する場合は、必ずレジメを作って今日、何を話したいか、何を頼みたいか、何を聞きたいか書いてもっていくのです。これが何故良いかと言いますと、山村とか地方都市は良質の情報がきちっと伝わることが少ないので、変な噂で動揺したり、対立したりしますので、施策の情報をきちっと伝えるということが一番山村経営にとって大事なことなんです。そこでレジメを持っていく価値は、レジメを見ながら聞いてもらう、そしてメモしておくのと、ただ何もせずに聞いているのとでは、頭に入る率が20倍ぐらい違う。もう一つ良いことは欠席者に何をいったか伝わる。さらに親父が家に持って帰りますから奥さんや家族に伝わります。それだけでも、税金で飯を食って市長をやっているんだから、それは市民、住民に情報を伝える責任がありますから、当然のことです。それからもう一つ、日本の政治の駄目な点は、政治家が書いたものを置いていかないことです。ということは約束手形を書かずに取引をやっているようなものです。そんなこと言ったけかなあと言えばそれで済んでしまう。私は必ず書いて持っていきますから、いい加減なことは、言っていないという証拠になります。レジメをみんなに配布するのは、証拠を残している訳です。これはなかなかしんどいことです。ところが、約束手形というのは全部落とさなければいけないかと言うと、私はそうではないと思うのです。本当の商品取引の約束手形は勿論必ず落とさなくてはいけないですが、市長が夢を描いた、魅力を画いた、それを市長が全部やる訳ではないんです。市民がやろうではないかと立ち上がるから約束手形が落ちる訳なのですから、首長という者は、手堅くやるんだったら5枚約束手形を書いたら5枚落とさなければならない、これが着実なやりかたです。そうではなくて私は、15枚書いて11枚落とせば、5枚書いて5枚落とした人より良いと思っています。

〈夢・絵に描いた餅は多い方がいい〉
 それが解釈の違いであって、夢みたいなことを言うなというか、夢があっていいなというかその違いです。15枚書いて11枚落とした計画と、5枚書いて5枚落として100%とどっちが良いか、大ボラ吹きだと言われる場合もありますが、やはり人間というのは、役場は何を考えているか、何をやろうとしているか書いたものがあって、ああそうかということで、絵に描いた餅、なんの役にも立たんというのと絵に描いた餅こそなければ、これを食いたいという気持ちも起きない、ということで絵に描いた餅の評価も二つあるわけです。夢と同じで絵に描いた餅はなければ駄目だと思うんです。むしろたくさん書いた方がいい、書きすぎて何も落とさなければ、ほら吹きで次の選挙で落ちてしまうんです。ところで、地方都市が有名な人を呼んで講演会などやるとき、高くなってしまって100万だの150万円だのと言うんです。テレビによく出るS先生とかT先生は、忙しいものだから180万円もかかる。今地方の人が情けないことには、ほんとに良い話は誰が持っているかわからないので、ただ人集めするのには有名な人を、顔の売れてた人がいい、テレビに出る人が偉い人と思うような情けない世の中になってしまった。だから、地方都市はこれから、ちゃんとレジメを書いて持ってくるような講師を呼ばなくてはいけない。何百万円もかかって何にも書いて持ってこない人、これは詐欺みたいなものです。
 だから、市長が書いて持っていって約束手形になるわけで、だからいい加減なことを言ってないという証明になる、10年15年経ってなるほど、私が新幹線の駅作りたいと言ったとき、うちの市民がみんな馬鹿にして、今度なった市長は、病気か気が違ってるのではないか、掛川なんかに停まるわけないではないかと言ったんです。
 それが10年経って停まったわけですが、そうしたら、ああなるほどな、あのとき言ってたこと本当だったんだということでそれが信用に変わる訳なんです。
 さらに10年経って見ていくと歴史になる。だから書いておくことは、ものすごく大事なことですが、みんな怖いからやらないんです。政治家は怖いしよくわからないからやらないんです。いつまで経ってもレベルアップしないのは政治家が書いたもの置いていかないからです。まあ、そんなことは自慢話になるのでいい加減にします。

〈哀しい矛盾と地域事始め〉
 今日は、全部で6つのお話をしようと思って書いてきたんです。まず一番目の話は、哀しい矛盾という話と活性化とは何かという話です。二番目の話は生涯学習社会のビジョン、三番目は地域学事始、地域学とは、知床に行ったら知床学事始をやれ、隠岐島へ行ったら隠岐島学事始をやれと言ってるんです。それから21世紀の政策形成分野は、6項目(健康、教育、環境、経済、建設、広域の6K)あります。
 それから森林組合が山村にはありますがこれをどう考えるか、それに最後は国有林です。これだけお話をしたいと思います。
 前段が大分伸びてしまったので、あと30分、6項目×5で30分、1項目5分でやります。
 哀しい矛盾というのは、昭和45年に大蔵省に山村の陳情に行ったときに書いたんです。山村は困っているからどうだこうだなどということは書かない、哀しい矛盾をどう思うかと大蔵省に言った。紅葉の美しいところは貧しいところ、緑豊かなところは不便なところ、水の清いところは人が住みにくいところ。小鳥さえずるところは寂しいところになってしまった。そして空気の澄んでいるところに住んでいる人の頭は澄んでいない。これは哀しいことではないか、ということを言ったんです。その当時私は、静岡県県森連の専務だったんです。静岡県森連の専務は変わったやつだなと大蔵省で評判になった。評判になるということは、うんと大事なことです。なぜ空気の澄みわたるとこに住んで頭が澄んでいないか、馬鹿だからではないんです。お金がすべて、学歴がすべてと割り切った人から村を出ていったんです。割り切れない人が残っているんだから、空気が澄みわたっても、自分の頭はぶつぶつ考えていて澄まないのです。こんな救いのない哀しいことがありますか。その当時1,200万人の山村人口、今は720万人、それが国土の45%握ってっているのに、720万人で国土を守っていくのにはよっぼど性根を据えてなければならないと思うわけです。四十七士の心境です。

〈ポストモダンの選択・土着民へ〉
 そこで日本の国は、向都離村の国なんです。都に向かって村を離れる。
 明治5年に福沢諭吉が学問のすすめを書きまして、日本は遅れているからもうチョンマゲと刀を捨てて欧米の科学技術に追いつかなければいけない。それでみんな向都離村の偏差値体系になってしまった。学校教育から選択・土着の教育に変えなければいけない。例えば静岡県の佐久間町、佐久間町が好きだからそこに住むという人を選択・上着民、そうではなくて他に行き所がなくて居るという者を、宿命土着民と言う。
 選択・土着民でいきたい、それでないとこんな所駄目だから東京に行くという事になる。だから自然と地域と両親を乗り越える教育から自然と地域と両親を尊敬する教育に変えたい。自然と地域と両親は、尊敬に値するものにならなければならない、だから親は生涯学習をやって、役場もみんな生涯学習をやって尊敬されるに値するような地域をつくらなければいけない。これから全国の山村は、生涯学習をやって、新お国自慢作りをやらなければいけない。その時にモダニズムとポストモダンの考え方の対立がある。
 モダニズムとは、便利と効率でやることです。ポストモダンは、美しい自然とか、清い流れ、健康な生活等を第一に考える、東京でいくら便利になっても健康でなければ意味はない。私は、沖縄離島の地域開発にちょっと関係しているのですが、空港を伸ばさなければ駄目だ、いや、空港なんか伸ばして海を汚したら何にもならん、その2つの対立する考え方がモダニズムとポストモダンのちがいなのです。
 お客が来なくて美しい海を守ったって何になる、お客が来てこその観光だ、いや空港を拡張して海を汚して何の観光か、こういう考えの対立がいつも起こる。それを調和出来ないか、自然との共生ということが言われる。それは縦割り行政では出来ない。
 縦割り行政とは、分析の学問によって成り立っていますから、総合の学問はニガ手です。総合学際の学問をやるのが町村長、その地域の役場の人なんです。縦割り行政の典型は土木事業、農業土木、都市土木、港湾土木、林業土木その他いろんな土木が各省に別れてしまっている。それを全部ひっくるめて一つの地域の技術体系に創り上げなくてはいけない。いろんな土木を一つにまとめた技術というものがあるはずなんです。そうすれば、モダニズムとポストモダンの対立は、時間という力を借りながら解決出来るはずです。

〈6条件が悪くとも一世紀一週間人生を〉
 そこで、市町村の住み良さと言うことを考える。それは6条件があって決まる、通勤、通学、通院、通商、通信、通婚、通うに便利な勤め先、学校、病院、商店・文化が有るか、通信施設情報が有るか、通える所に男女がいるか。この住み良さの6条件を一番満たしているのが東京。だから、みんな東京に集まってしまう。これが一番ないのが過疎地帯です。
 この6条件を少しでも満たすために何をやってきたか、盆暮れの行事やお祭りやって、今はイベントをやって何とかこれを解決しようとしているわけです。これも大事ですが、空港で立地の活性化をやって東京から出来るだけ人を呼ぼうとしているわけです。いままでの学校教育は、人間がよく生きるための教育をやってきた。
 これからは、よく死ぬための教育をやらなければいけない。よく死ぬためというのは、100歳まで生きて、寝込んだら1週間でさようなら。
 そういう人生を送りたい。掛川の生涯学習の目標は、‘一世紀一週間人生’と言ってるんです。それを私は、アメリカの姉妹都市で演説して、わが町のポリシーは、センチュリー・ワンウィークライフと言ったんです。ところがアメリカでは既にこれをやってるんです。アメリカはlO年ぐらい前から、ヘルシー・ピープル・プランをやっているんです。そしたら、アメリカはこの4年間医療費が伸びなくなったんです。
 日本は毎年1兆円も医療費が伸びるでしょう。老人が寝たきりで、あれは寝かせきりにしちゃうから、あと植物人間にして栄養だけやるのでいつまでたっても生きている、あれは情けないことです。しかし、山村には寝たきり老人はいない、これを手本にしなければいけない。山村も東京と同じように介護保険はどうだ、あれがどうだ、これがどうだ、なっちゃったら、やっぱり東京のほうがいいやということになる。山村はみんな元気で、死ぬときまで元気で。あれ、おじいちゃん昼飯に帰ってこないから、迎えに行ったら山で死んでた、そのぐらいのほうが良いのではないか、これをセンチュリー・ワンウィークライブと言ってビジョンを持たなければいけないと思っています。

〈山村はコストゼロの活性化から〉
 それで、活性化とは何か、という今日一番のテーマです。
 活性化とは人口が増えて、予算が増えるとか、工業出荷額が増える、道路の舗装率が上がる、下水の普及率が上がる、これらをモダニズムの活性化という。これに対してポストモダンの活性化とは、健康の活性化、血のめぐりの活性化、頭脳の活性化、人間関係の活性化です。モダニズムの活性化でやっていたら、東京にかないっこない。我々は静岡市にかなわない、静岡巾は名古屋市に、名古屋市は東京にかなわないというような形になっちゃうんです。
だから、山村はコストゼロの活性化、これは人間関係で情報が良く行き渡っている、お互いに胸襟を開いて話している、なかなかできないことで、山村ほど敵味方が多いとか、だけど山村はやれば出来るんです。それが山村の生涯学習だと私は思います。
 そこで、はじめて哀しい矛盾が克服されるんです。紅葉が美しい、俺は健康だ、ああ幸せだと言うふうに。哀しい矛盾を克服するためには、コストゼロの活性化から始まる。向都離村の教育をやめたい、掛川で言ってるんです。15歳や18歳の時は利口も馬鹿もある。しかし30歳になれば大体同じです。木も10年生で太いやつも高いやつも有るように人間だってそうです。それを15歳や18歳の点数でその一生を決めるなどという馬鹿なことはない。確かに100人のうち1人や2人ものすごく頭のいいやつがいますよ。こういう人達にはニューヨークに行って活躍してもらえば良いわけなんで、あとはみんな掛川に帰ってきて悠々とやれば良いんじゃないのと、私は言ってるんです。だから学歴なんていうのは問題じゃない、一生のことをどこの学校を出たかなんて、学歴決算をして、日本はそんな嫌な国になっちゃたんです。うちの町は30歳から10歳毎に年輪の集いをやっている。人間一人前になるのには50年の年輪が必要です。それであ一あいいなあとなるのには70にならなきゃだめです。90歳の会があってこれを‘よくぞ会’と言ってる。よくぞここまで生きてきたということなんです。この人達はみどころありますよ、90歳になって式典に出てくるのはみんな元気でいい人達です。

〈頭を使って気を使わず腹八分目〉
 二番目の話は、生涯学習とは寝たきり老人、ぼけ老人にならないことを決意して生きていくことです。一世紀一週間のことをアメリカではヘルシーダイイングと言うんです。健康なうちに死ぬこと、ダイイングとは死ぬことです。そのためには、あたまを使うこと。今は、みんな気を使っていますが、それは頭を使うのとは違うんです。山村の人は気を使っている人が多く、隣の人がこうやった、こっちの人がああやったと、気を使ってるんです。頭を使わなければ駄目、人はどう思おうと私はこれが幸せだと迷わない、これが頭を使うことです。自分の幸福の尺度を持っていることを頭を使うと言うんです。気を使うのは、自分の価値観の尺度を持っていないで、人のことを気にして生きることです。
 そして手足をよく使う、小食、あまり食い過きないこと、それから8時間の睡眠、それで生き甲斐を持って生きる、これだけ守っていれば一世紀一週間は生きれます。
 それを決意して生きること、それが生涯学習の夢です。この時、正夢を持って生きる。先ほど観光15条件、住み易さの6条件を申し上げましたが、このカギを握っているのが女性なんです。女性は、生む性ですから本質的な性、男性は現象です。
 その点、フランス人は、なかなかユーモアのある民族ですから、フランスのことわざに‘壁を背にした女は壁の花’、‘壁を背にした男は壁のシミ’と言いまして、女と男では、花とシミぐらい違うと言うんです。

〈女性が鍵を握っている〉
 長崎の原爆の資料館に行きますと、荻野みち子さんという女の子の作文があります。小学校5年生で「家が倒れて妹が梁に挟まれて泣き叫んでいました。水兵さんが来て上げようとしたけれど上がらなくて行ってしまいました。隣のおじさん達がきて上げようとしたけれども上がらなくてあきらめねば仕方なかと行ってしまいました。向こうから真っ黒な人が飛んできました。お母ちゃんでした。お母ちゃんの体は火傷で黒こげに溶けていました。でもお母ちゃんはその梁に肩を入れてバリバリと上げて妹は助け出されました。そしてお母ちゃんはその晩死にました。」こういう作文です。
 水兵さんも隣のおやじも上げられなかったものを、その晩死ぬほど火傷したお母さんが、上げてるんです。これが女の強さです。日本の女性はほんとに強かった、日本の農林業は、女性が支えてきたし、支えている。私の家も女性がしっかりしているから家が護られる。明治女のおばあちゃんは偉かった。小さい頃竹の物差しでたたかれた、半分認めた悪さは平らなところでたたいたが、本当に悪いことで絶対してはいけないと叱るときは、うすい尖っている方でたたいた。あれは痛かった。それだけの区別を家制度の女はしていた。
 日本の国は、おっかさんと言う名の下にしゃぶり尽くした。それが30年前に女性が社会に進出して、女がいつもいつも下で支える、こんな馬鹿なことはない、もういやだ、と言った。それで農家に嫁がなくなり、町内会に嫁がなくなった。

〈市場調査と嫁さがしに都の大学へ〉
 女性はいつも苦労を背負っているのです。とくに農山村の女性は、今まで5つの苦労を背負ってきた。営農の苦労、家事の苦労、育児の苦労、舅に仕える苦労、封建的な長男社会に仕える苦労と5つの苦労を背負っている。これを本当にご苦労さんと言う・・・。そこで30年前、おっかさんから教育ママになった。何と言ったか、娘よ、こんな所に居てもしようがないから勉強して良いところに嫁に行け、と。日本中の農山村が全部良いところに嫁に行けとなっちゃった。もうおふくろさん、おっかさんではなくなった。
 女性がやる気を失ったら、地域は衰退する、駄目になる。だから、私は、生涯学習のカギは女性にある、としている。ところがやっかいなのは教育ママで、学歴が高い女性ほど東京が好きになっちゃったことんです。何故か、4つ理由がある。
 女性の給与が相対的に高いのが東京、いろんな出会いがあるのが東京、プライバシーが護られるところが東京、前衛を楽しむことが出来る。前衛とはよく言えば芸術的なこと、田舎の言葉で言えばひょうきんなこと。ひょうきんなことでは、田舎では生きていけない、東京では生きていける。ひょうきんはヒットするときがある。
 だから東京はおもしろいとなる。ひょうきんを追い出してしまうのが山村の狭いところでもある。浅草は、ひょうきんなやつばっかり集まっている。たまたま、哲学者の、日本で哲学者と言う肩書きで飯が食える唯一の人、内山節という人は、全国山村振興連盟の副会長、全国町村会長の黒澤さんの上野村に行っちゃって、晴耕雨読、釣り三昧で市場経済を組みかえる哲学をやっているんです。
 これからは、東京の学校に子供が行く、それはいろいろなことを勉強して、資格を取ったりするのは良いが、自分のふるさと、掛川で言えば、この町のお茶のことをマーケッティングリサーチに出す。また男は、おもしろい嫁をつれてこいということで学費をださないと。東京に出してやるだけだと、敵の戦力を蓄えているようなもんだ。

〈成功体験と生産消費地づくり〉
 3番目がわが町の特色化にお金を出し、その魅力を語る市民の育成と成功体験蓄積、日本の農山村の駄目なのは、成功体験がない。かつて労働組合は、賃金アップや時間短縮を取ってきたから成功体験があった。
 山村は何か取ってきたものがあるか、ない。地域で言えば、成功体験が一番あるのは東京だ。成功体験があるからよけい活性化する。
 成功体験を創らねばならない。今日は、あとで森町の町長さんが事例発表されますが、町長さんは、‘アクティー森’というのを創った。アクティーと言う言葉も良かったが、あれは、成功体験だ。そうするとこっちもやろうか、あっちでもやる、連鎖反応が起こる。そういうサクセスストーリーを創り、これしかない、ここしかない文化を創っていく。それから言いたいことは、生産地は貧乏暮らし、消費地は王様、こういう考え方はやめなければいけない。生産地は、消費の文化でも、消費地より高い文化を持っている。私は、全国で一番お茶が採れるのは掛川だ、掛川の農民はいつも三番茶飲んで、一番茶を東京に送っている、これではいつまでたっても東京の家来だ。だから自分が一番おいしいお茶飲んだって1年間に3〜5万円だ、あんまりおいしいから、東京の人におすそわけして上げる、家来農業からお裾分け農業に、そのくらいの気位を持ちたい。そして生産地と消費地は、対等の立場を創る。そのためには、国際競争力をつける、安全安心・素性そして旬、おいしい、それに消費の文化、調理加工、お茶で言えば茶道、そして産直とつなげる。これだけのものをきちっと農産物について作っていかなければいけない。

〈自治体経営と森林組合と国有林〉
 次に、自治体経営のコツは、一人一人が良い人生を送るということを基本に考えなければならない。その上で良い人間関係を築く、いい舞台を創る、良い後継者をつくり、いい未来を送る。いいとはどういうことかを考えることが、大事な生涯学習まちづくり。それから自治体の住民には、意見・要望・苦情・アイデアがある。これの在庫管理・進行管理をきちっとやる、住民は自分の言ったことをすぐやらないことを怒るんではない。自分の言ったことをいい加減に扱うとか、役人がキャッチボールをやっちゃうことを怒る、だから行政学に私は、はじめて在庫管理・進行管理・品質管理ということばを入れたんです。日本の商品が成功したのは在庫管理・進行管理・品質管理、ユーザーとの調整をちゃんとやったからですよ。
 次は、山村こそ人の活力が大事、行政の責任でムードややる気の醸成によって、8倍はやれる。やる気・志・郷土愛で2倍、チームワーク・縦割りなして2倍、リーダーシップ・目標明示で2倍、2×2×2=8倍の生産性を上げることができる。
 それから森林組合ですが、森林組合はどうしようもないな、と言う人とこれこそ最後の砦だと言う人とある訳なんです。今、全国に千いくつの森林組合があるが、私は昭和38年から36年間組合長やってますから日本で最古の森林組合長です。
 このくらい割り切れない存在の団体はないです。全国の森林組合は、1/3づつに分けることができる。ぐっすり眠っちゃっている組合、鳴かず飛ばずでひいひい言いながらやっている組合、まあまあ活躍している組合。まあこの森林組合は、虚弱児だが1人子だ。国有林は破産しちゃったんだから、だから森林組合しか頼るのはないんだ。こういうことで役場も森林組合に出資して、森林組合は第三セクター的にやって、それから都市の企業からの出資も仰いてやる、そういう時代です。だから森林組合は、NPO,PFI(プライベート・ファイナンス・)にならなければいけない。もっと言いたいことが沢山ありますが、時間が来ましたので、最後に国有林について、国有林は、日木一の大地主ですが、3兆8千億円の借金があり、2兆8千億円を税金で見てもらって1兆円をあと60年で木材を売って返していくと言う計画ですが、いまの状態では出来ません。国有林は98カ所の森林管理事務所にまとめると言っているのだから、100カ所の森林都市を創って、その地域の山村と提携してこれから、四国88番西国33番と同じように国有林も100選んで、100カ所巡りを、日本人は日本列島を一生かかって100カ所をまわって終わりになる、と言ったぐらいのビジョンを国有林は出してもらいたい。ほんとに小さく小さく固まっちゃって、山村の親玉だった国有林が今や何の役割も果たさない。閉鎖社会になっちゃう、これじゃ駄目ですね。

く金次郎曰く、道徳なき経済は犯罪である〉
 最後に二宮尊徳のことを言って終わりにします。金次郎少年は、薪を背負って、本を読んで一生懸命働いている。あんなことをやってたら交通事故に合っちやうなんて冗談を言う人もいますけれど、そんな冗談でなくて、世界広しと言えども偉人の銅像で、少年期の姿が銅像になっているのは二宮金次郎だけなんです。あとはみんな馬に乗って、ひげをはやして、勲章付けてるんです。そういう銅像ばっかりで13歳が銅像になっているのは金次郎だけだ。何故か、あれは文部省が補助金出したとか、軍部が補助金だしたとかやったんじゃない、昭和の初年から15年にかけて、全国の農山村全ての小学校の校庭あるいは校門に金次郎がかざられたんです、これは日本の父母が我が子もかくあるべしと思ったからやったんです。金次郎は働きながら勉強したから偉かったんではない。働くことと勉強することとはいっしょだったんです。百姓のこせがれは、勉強せんでもいいって言われた時代に、沸き出ずる意欲で勉強したんです。だから強制された勉強の姿ではないので美しい。
 そういうことで解釈すると金次郎の言葉は、ピカピカ光ってくるんです。彼はこう言っている。経済のない道徳は寝言である。ところが、その次に言った言葉がすごい。道徳のない経済は犯罪である、と言っている。明治の前にですから、金次郎は偉かった。今の銀行などのスキャンダルは、みんな道徳のない経済は犯罪であった、ということです。その経済にやられたのが農山村だ。悪いやつにやられて負けてたまるか、そういう気持ちを山村の人達はこれから持たなければいけない。
 だけどやせ我慢じゃないのと言われてしまう、或いは、だんだん高齢化率が40%を超えたなんていうところが方々に出てきた、というと私がそういう空元気なことばっかり言っても駄目だなあと失望する時もあるんです。しかし、今、世界に60億の人がいますけど、山村の人だってその60億の中に入れれば、豊かさの面では大体みんな15億番目くらいの中に入るんです。だから、もうちょっと違う価値観、本物の価値観、あるいは、ポストモダンの考え方で山村が横に連帯して、それから、さらに縦に連帯して、広域連携して新しい時代を築いて行かなければいけない。

〈和食産業課で国際化と地域化〉
 私は、今農水省に、和食産業課を作るように言ってるんです。何故か、日本の国はどんどん外食産業になっちゃって、コーヒーとパンになっちゃってお米とお茶をやめちゃった。わが掛川市はお米とお茶、味噌と醤油、納豆、山菜と海草、梅干しと小魚の文化を大事にしている。この文化を農水省に強く訴えている。農水省はなぜそんなことやらなきゃいかんのかというので、日本はヨーロッパに行ってもどこへ行っても日本の車があるんです。どこへ行っても日本の商品があるんです。しかし、どこへ行っても日本料理があるというわけにはいかん。ニューヨーク、パリ、ロンドンにはあるが、世界どこでもとはなっていない。世界の三大料理はフランス料理、中華料理、イタリア料理。それに対して日本料理、健康食品としての日本料理が世界各地に進出しなけりゃいかん。だから農水省はそういう国際戦略を持つべきだというのが一つ。
 もう一つ、今、過疎地域、農山村に行って地域おこしのところに行けば、みんな食材にしても特産品にしても木と竹、米とお茶、山菜と小魚、そういうもので佃煮や漬物などやっている、これらは和食です。和食で地域振興をやろうと思っているところが沢山あるわけですから、それに今度は国土庁の山村豪雪地帯振興課は、農水省といっしょになるんだから、山村の地域おこしは、和食の食材と食文化、それと世界の都市に日本の和食を進出させる、それこそ新しい農水省のビジョンではないか、国際化と地域化の和食産業課を作ることを提案しているので、ぜひ皆さんも地元の政治家にいって下さい。役所の感覚は、それは食品流通局か農産園芸局に置くのかといった発想にすぐなっちゃうんです。そうではない。今までの発想と全然違ったものだから、官房に置くべきだ、と言ってるんです。まあこれはともかくとして、新しいビジョンを新しい農業基本法が出来たんで、従来からの政策の延長でなくやって欲しいと思っているんですが、どうもそうはならないようです。
 だからこれから我々が知恵と元気を出して、今日申し上げたことは、あいつこんなことを言ってよく22年も市長やってたな、と思われるかも知れませんが、その中からどれかそれぞれの地域に合ったものを選んで頂いて、みんなが健全な日本列島になるようにならなければいけない、こういうことを思っていますので、皆さん頑張って頂きたいと思います。有り難うございました。(おわり)


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