平成24年11月22日に開催された全国山村振興連盟通常総会において、松島貞治長野県泰阜村長及び今井良博 岐阜県白川町長両名から事例報告が行われた。
その報告の概要と配布資料を紹介します。
T 松島貞治 長野県泰阜村長の事例報告
「山村振興=やっぱり『人』かなあ」
泰阜村は、長野県庁から190q離れた、愛知県庁に行く方がはるかに近い長野県の南端にあります。泰阜村の人口が最も多かったのが昭和10年の5,844人で、その時からずっと減っているのですが、その時に何が起こったのかと言いますと、昭和13年に満州への分村を決めまして、村民の半分をなんとか満州へ送り出そうとしましたが、結局半分は行かずに、1,100人程度になりました。要するに、耕地面積が少なくて食べていけなくて、食いぶちを減らす政策として満州移民政策に乗ったという歴史があります。私は平成6年に村長になったのですが、平成12年の国勢調査で2,176人、平成22年が1,911人で、18年村長をやっていますが、人口は減り、すべての指標は右肩さがりの中で生きてきたということであります。
どこの過疎山村も同じですが、平成14年をピークに65歳以上人口が減少し始めていますので、高齢化という問題はもうない、要するに社会保障費が高齢化によって増えるということはない、ただ、後期高齢者はもう少し減ると思ったのが、思ったほど減っていません。
泰阜村の課題の中で、子どもが減っていくという少子化の中で本当に学校がどうなるのかという大問題があります。荒廃地の問題が盛んに言われていますが、私は、元々食糧を確保するために木を切り、山を開墾して畑を作ってきた時代から、今は人口も減り始めているので、それをまた山に返せばいいだけのことであって、荒廃地の面積が増えたことを問題にすることの方がおかしいのではないかと思います。ただ、守るべき農地だけは守っていけばいいと考えています。村は19集落に分かれていますが、二つくらいの集落が10年くらいで消えるのではないかと思っています。それはかって山に木を植えた時代に山に入って、ひと稼ぎした皆さんの地域であります。私は消えていく集落があってもいいと思っています。集落自然死論と私は言っているのですが、自然死する集落が出てもこういう状況ですから当然だろうと思っていますが、ある程度公共施設のの集約化はやる必要があると思っています。消えていく集落は限界集落ということでなんか特別対策をということではなくて、それはそれで認めていこうというようなことを考えています。
今、私自身に与えているテーマは、30年後に本当に地域を残していくためには今何をしたらいいかということです。30年後というのは意味がありまして、私は昭和25年生まれですが、団塊の世代が大体30年後にはこの世の中から去る、その時に本当に泰阜という地域が村なのかどうか分かりませんが、残るのかどうかという点で考えております。
家督相続という制度があれば、山村もなんとか後継者が残らざるを得なかったと思います。
家督相続制度がなくなっても、個人の家の後継者が残れば一番いいのですが、そんなことは求めても無理という時代になって、何が残るのだろうかと考えています。一つは企業活動、小さな製造業、30人、40人規模の会社がありますが、企業活動は、今、電気の部品を作っていますが、作るものは変わっても企業は残っていくのかなということで、新たな企業誘致ではなくて、今ある企業をなんとか支援したい。
次に新しい公共といわれるものです。農協のガソリンスタンドが老朽化し廃止するということになった際になんとか残そうということで、農協のOBが社団法人 泰阜村地域振興センターを作ってくれました。タンクを入れ替えるのに2千万円要したのですが、1千万円は民主党政権の景気対策のきめ細かな臨時交付金を活用し、1千万円は農協が負担しました。今、過去最高の売上げだといっています。私も5万円出資しています。スクールバス、保育園バス、福祉バスの運行を、民間会社から切り替えてこの振興センターに委託しています。新たな公共の受け皿を作りながら、担い手が変わっても継続していくことを考えています。
次に高齢者協同企業組合ですが、5万円づつ出資して、高齢者が行政の力に頼らずに老後を泰阜村で自分達の力で過ごしていこうということで、一つの長屋で12戸くらい入れる高齢者協同住宅を作りました。一番理解を示してくれたのが国土交通省で、これは「まちづくり交付金」の事業でやりました。施設は村が作りましたが、それを高齢者協同企業組合という、5万円づつ出資した67〜8人の組合員で運営しています。要介護の人、元気な人がとにかく一緒に終わりの人生の最後の部分を楽しくいい形で終えようということです。この組合も理事長以下担い手が変わってもこのシステムは残っていくものと思っています。
次に、NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センターですが、もう25年間、泰阜村で小中学生の山村留学を中心にフルシーズン、キャンプ等で自然体験、生活体験を柱に運営し、1億円くらいの売上げがある。全員Iターン者で、理事長が45歳くらいでスタッフはここで働きたいという人が大勢くるのですが、なかなか全員を雇用することはできないという状況です。140名くらいの小中学生ですが、そのうち17名はグリーンウッドの子供達です。去年から3.11の東日本大震災の被災児童の方も福島県から1名、液状化の影響のあった千葉県から2名、合計3名の被災児童を村が経費を負担する形で受け入れて、泰阜村の学校に通っています。
特別養護老人ホームの運営はどこか民間にと思ったのですが、そんなことは勿体ないと思って村が3千万円出して「社会福祉法人 やすおか」というのを作って、そこに委託して運営しています。なんとか村の皆さんで法人運営をしていけば、担い手が変わっても残るのではないかと思って、村の仕組みとか活動に投資をしていこうと考えています。
紹介したいくつかの事例のうち、泰阜村地域振興センターのガソリンスタンド以外は全部Iターン者の方々が始めた事業です。私を含め村にずっと住んでいる人を原住民と言っていますが、村をだめだと言っているのは原住民の男、お嫁さんはわざわざ泰阜村に来てくれたのに旦那はだめな村だと言っている。
これらの事業は過疎債のソフトをかなり使っていますが、大変ありがたいと思って頑張っています。ハード事業も、NPO法人 グリーンウッドは環境省と木造公共施設の補助金を使っています。NPO法人 ジジ王国も木造公共施設の補助金を使っています。村がハードを作って、そのソフトを担う人材を確保して、活動の仕組みとして担い手が変わっても継続できる、そういうものに投資する以外に我々の地域を残す道はないのではないかということを思いながら、なにもないといわれる泰阜村で頑張っております。
資料 山村振興=やっぱり人かなあ |