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(中村)森林の再生のために流域ごとに管理をしていくことが林政審で提示されているが、そのやり方、工夫について伺いたい。また、市民参加の森づくりはどういう形の参加があるのか伺いたい。
(内山)森づくりに国民が参加する仕方として、森に入って山で作業するとか、またお金を出すというのもひとつの方法である。 森林は公益的機能を果たしていると言われながら、その実態が、漠然としてよくわからない、どの位の雨が降ったらどの位の水量になるとか、どの位の時間で水が引くかとか。 環境的な価値を高めるには、どういう環境的価値があるのか調査しなければならない。そういう調査手法などを国で作って、市民を調査ボランティアとしてどんどん森に動員していく、森林保全等のための作業をする人もつくっていく、そういうふうに森に入ってもらう仕組みをつくる。お金を出すのもひとつだし、国民総がかりでやる。とにかくそういう社会的な風土をつくることが大切である。 (春名)そういう機運を高める努力が必要だと思う。しかし、山の仕事は専門的な知識・技術が必要だから、ボランティアのできる仕事というのはおのづと限られてくる。 (内山)ボランティアとして自分達が作業すると、いかにプロの人達が重要か、山村で暮らしている人達がどれほど重要な仕事をしてきたのかがよくわかる。 それを市民に理解させていくことも森林ボランティアの大きな役目だと思う。 (古野)富士山の山麓で、台風で風倒木ができた。その後植林しようと数百人のボランティアが集った。また、御殿場では、風倒木を輪ぎりにし、木の植木鉢をつくる、それが時がたち腐りかけたら森や庭に戻す、大きな意味での植林につなげていく。 木の命、木の大事さを知らせる意味では、おもしろいボランティアだと思う。 (柳沢)千曲川支流の2町2村では、依田川水系サミットという形で、川遊びのできるきれいな川をと葦を刈ったり、台所ではアクリルたわしを使ったりいろいろな取組みをしている。 ボランティアには汗を流す、資金を出す、心情的なボランティアとがあるが、たとえば、女子大生などができることで、4年間夏休みに森に入ったら単位がもらえるような制度ができないものかと考える。 オリンピックに関して言えば、信州大学の工学部あたりでは、専門的な知識を生かしコンピューター関係のボランティアが多いのだが、単位が出るなどのことも検討されている。 (中村)森林再生のためには、環境の整備も大事だが、その時議論になる林道についてはどうでしょう。 (内山)林道は、本来、森をよくするための道だが、森と関係なかったり、時には森を壊しているものさえある。林道とは、あくまでも森林をよくするための道であり、暮らしを良くし活性化させる生活のための道というのはそれとは別にきちっとつくるべきだ。林道規定にもとづいて補助金を出すのではなく、広い所は広くていいが、細い所はトラック1台通ればいいというように、地域にふさわしい林道の形が必要だ。やたら広い道をつけたりすると、のり面が崖のようになってしまい、かえって使いにくくなってしまったり、崖崩れを誘発してしまうようなこともある。山の中腹にある山村の集落は、かつては山の真ん中を道が通って集落と集落がその道でつながっていた。今は車社会になり、その歩道が消えてしまっているため集落が離れ小島のようになって、集落そのものが崩壊しかねない。そういうところには、村を活性化させるために、場合によっては昔のルートをきちっとつけるという工夫も必要だ。 (春名)これから機械化を進めていくとなると、機会が搬入できなかったら作業ができないことになる。だから地域の実態に即した規格のものであればいいと思う。支線はその機能だけ果たせばいいが、幹線の林道は、たくさん荷を積んだトラックも走るし、交差もしなければならないので、ある程度の幅員が必要だ。また、林道は、後の維持管理を考えた上でつけなければならない。 (古野)世界遺産になった白神山地を縦断しようとした青秋林道が地元の人達の反対にあって中止になった経緯があるが、東大の北海道演習林のドロ亀さんがおっしゃっているように、きめの細かい林道をつくって、その森にふさわしい施業、開伐じゃなくて択伐で施業していけば、森全体がいろんな生物種を保ちながら森全体が健全に育つ。その意味で、林道というのは、むしろそれぞれの地域に適したものが必要ではないかと思う。 (柳沢)山の中の道を開けていく時、そののり面が既に持っていた風景のレベルを下げないような配慮をしてほしい。せっかく道は開通したが索漠たる風景になってしまったという例が多いと思う。 (中村)都市に行っていて、山を所有している意識のない不在村地主に困っている話をよく聞くが、これは相続の結果こういうことになるのか。 (目瀬)田舎は大体、相続で所有権が移って行く、過疎が進んだところでは不在村地主がたくさん生まれて後の管理が大変だろうと思う。松林などは、松枯れにより広葉樹がふえており、そういう所は境界線がわからなくなってしまって財産管理上も問題じゃないかと思う。 (古野)バブル以降、場所によっては土地の評価が高くなり税金が高くなって、森を維持しようという意思があっても相続税を払うために、売らなきゃならないというケースが出てきた。 森とむらの会では、森林の所有者が相続税の問題で森林の維持に困難を期すことがないような制度の研究を始めている。 (柳沢)農業の場合、相続で農地を分割されてしまうと、結局は大きな機械を入れて農業を続けていくことができなくなる。かといって買い取ることもなかなかできない。ドイツあたりで、あんなに美しい農家が脈々と農業を続けているというあたり、何かヒントが隠されているのではないか。 (内山)ヨーロッパでは親子間で売買される場合が多い。買い取れる価格だということ、そして就農する場合、国や地方自治体から就農祝い金がかなり出て、そのお金で買い取ることができるという起因していると思う。 |